島民にとって水を確保できる井戸はとても重要な役割を果たしていました。
今では蛇口をひねれば水が出てくるのは当然ですが石垣島からの海底送水が整備されたのは1976年。たった50年前のこと。
昔に比べるとそのほとんどが利用されなくなってしまった井戸ですが、島の人々は井戸への感謝を忘れず、事故防止のため蓋がされてる井戸にもパイプを通し地下水が呼吸できるよう配慮がされています。
井戸をふさぐことは決してしないのです。
また年に一度の節祭という祭祀では各御嶽の神司がそれぞれまつる井戸に供物を供えて参拝します。
ハマンガー
(浜井戸)
【願い所】玻座間御嶽
美崎御嶽境内にあるこの井戸は、海の近くにも関わらず水を湛え、飢饉の際も水を供給したと伝えられています。新田家の屋良原阿主が掘り当てたと言われています。
ミシャシカー
(美崎井戸)
【願い所】玻座間御嶽
かつて美崎浜に港が置かれていた時に竹富島を離れる人、訪れる人が使っていた井戸です。井戸石も丁寧に積まれており、大切に使われていた跡が残ります。
ハナックンガー
(花城井戸)
【願い所】花城御嶽
ハナックンガーは竹富島最古の井戸と言われ、島立ての伝承と深く関わりのある井戸です。花城御嶽に祀られるタキンドゥン(他金殿)が掘り当てたと言われています 。
フーガー
(大川井戸)
現在は牧場敷地内にある井戸です。井戸の口が大きなことからフーガーと呼ばれています。牛馬の飲料や潅水のほか、瓦の製造にも一役買っていたのでしょう。
フーシンガー
(大口の井戸)
【願い所】玻座間御嶽
玻座間御嶽に祀られる根原金殿が掘り当てた井戸と言われています。シュッタヌカク遺跡の東側岩盤の割れ目に面しているウリカー(下り井戸)です。
タイショーカー
(大正井戸)
【願い所】久間原御嶽
大正時代に掘られたため、タイショーカーと言われています。花城屋の前にあることから、別称、ハナッキャヌカーとも呼びます。
フウカー
【願い所】花城御嶽
比較的新しい井戸で、島の若者が掘削作業に当たったためセイネンカーと呼んだり、大川屋の前にある井戸であることから、フーギャヌカーと呼んだりします。
オーセヌカー
(村番所の井戸)
【願い所】玻座間御嶽
明治28年に13m掘り、掘削人も記録されている井戸です。オーセヌカーの名の通り、村番所跡に掘られた井戸で、香炉も置かれています。
ハツメイカー
(発明井戸)
【願い所】花城御嶽
現在は暗渠となっていますが、井戸水に呼吸をさせるために鉄パイプを利用しています。竹富島が井戸を大切している象徴ともいえる井戸です。
ミッチンカー
(明治井戸)
【願い所】玻座間御嶽
この井戸も現在では暗渠となっています。井戸があることに気づかない人も大勢いますが、毎年執り行う節祭には、香炉の代わりとなる白砂が置かれる井戸です。
アーラカー
(新しい井戸)
【願い所】久間原御嶽
こちらもその名の通り新しく掘られた井戸です。現在では、観光客の往来が多い駐輪場の傍にあることから、水汲みポンプを設置したりしています。
キニンカー
(記念井戸)
【願い所】玻座間御嶽
日露戦争戦勝記念として掘られた井戸です。別称、ガイセンカー(凱旋井戸)とも言います。
この井戸は明治39年1月18日に落成しています。
インカー
【願い所】幸本御嶽
東集落住民総出で掘り当てた井戸と伝わります。大浦屋の前にあることから、別称でホウリャヌーカーとも呼ばれています。
マイシンカー
【願い所】波利若御嶽
こちらも東集落住民で掘られた井戸と伝わります。武元屋の前にあることから、別称でタキムトゥカーとも呼ばれています。
シルミジカー
(白水井戸)
【願い所】波利若御嶽
竹富小中学校敷地内にある井戸です。かつては、この井戸水は、児童生徒のために大いに活用されており、水を溜めて風呂を沸かし資金造成をしたそうです。
ミーナカー
(神が見つけた井戸)
※竹富町指定史跡
【願い所】久間原御嶽
マリツ神とソコツ神が掘り当てたと言われるミーナカーは、ミーナハタという地名にその名が由来しています。洞窟を利用した井戸で、深さは12mあります。
スンナーカー
(釣瓶井戸)
【願い所】玻座間御嶽
広い口を持つ井戸で、かつてはここの井戸水を利用して泡盛を製造していました。その証は、スンナーカー入口傍に建立された「酒造所跡之碑」で知ることができます。
ナージカー
(仲筋井戸)
【願い所】仲筋御嶽
竹富島で最大の井戸で、干ばつの時は最後まで水が残っていた井戸です。伝承によると、犬の尻尾が濡れていたことから掘り当てることができたそうです。
トゥンナーカー
(豊見親井戸)
【願い所】波利若御嶽
宮古島の英雄、仲宗根豊見親が掘り当てたと伝わる井戸です。宮古島の危篤の姉のために、ここの水を持参し顔を拭いてあげたことから、忌中井戸ともいいます。
アラカー・フーフチカー
(大縁井戸)
【願い所】仲筋御嶽
その名の通り、口が大きな井戸です。明治23年頃作図された『八重山絵図』には、「大口井」と記録されています。
コントゥカー
(幸本井戸)
【願い所】幸本御嶽
フージャヌクミ遺跡内にあるこの井戸は、かつて存在した幸本村の重要な井戸であったことが分かります。幸本村の発祥に深く関わっている井戸だと想像できます。
コインカー
【願い所】仲筋御嶽
この井戸は、仲筋村住民の共同井戸として大正3年に掘り当てました。掘削人は、前本義佐、大 松。水の確保に苦労した仲筋村の人々にとって、この井戸の重要性が理解できます。
コインカー
【願い所】仲筋御嶽
この井戸は、仲筋村住民の共同井戸として大正3年に掘り当てました。掘削人は、前本義佐、大 松。水の確保に苦労した仲筋村の人々にとって、この井戸の重要性が理解できます。
西新里村遺跡
※竹富町指定史跡
ハナックンガー(花城井戸)を境に新里村東遺跡の西側に位置する新里村西遺跡からは、多数の土器類、イノシシなどの小動物の骨ばかりでなく、竹富島の景観の草創期ともいえるグック(石垣)の遺構や柱穴などが出土されています。遺構は紀元1300年代後半から1400年代にかけてと推測されています。
東新里村遺跡
※竹富町指定史跡
新里村東遺跡は、八重山考古学で欠かすことのできない史跡です。八重山地方は、紀元前4000年前の波照間島下田原遺跡以降無土器時代へと移行しますが、紀元1100年代後半の遺構である新里村東遺跡からは突如土器がみられ、無土器時代の終焉と交易の証である模倣滑石製石鍋などの土器類、中国元朝の貨銭が出土しています。
シュッタヌカク遺跡・小城盛
※国指定史跡
玻座間村を東西に分けるナビンドー道を境とするシュッタヌカク遺跡と小城盛は、竹富島の集落の歴史を探るうえでとても重要な遺跡です。東側に位置するシュッタヌカクは、竹富島を統一した根原金殿ゆかりの地としてその末裔が管理しています。また、西側の小城盛周辺は村番所が置かれていたこともあり、解明が進んでいます。
久間原・花城村遺跡
15世紀~16世紀にかけての遺構と推測されている久間原村・花城村遺跡は、国指定級の史跡といっても良いでしょう。高城(タカシル)と呼ばれた崖の上に築かれた村落群は、突如姿を消します。グックや人骨などが出土されたこの遺構が手つかずであったのは、久間原御嶽・花城御嶽の聖地があるゆえ、開発から免れてきたのです。
波利若遺跡
久間原・花城村遺跡の南面に位置する波利若遺跡は、波利若御嶽周辺を指します。現在も発掘調査が行われておらず詳細は明らかではありませんが、1647年の『宮古・八重山両島絵図帳』には、「はれそか村石高14石云々」とあり、この村が実在していたことが記録されています。
ンブフル遺跡
牛が一晩で積み上げたという伝承があるンブフル丘も数ある竹富島の史跡のひとつですが、この史跡も発掘調査が待たれます。ンブフル遺跡の年代が特定されることにより、小高い丘の南面に集落が広がる竹富島の集落景観のルーツのヒントが隠されているからです。
トゥールングック遺跡
八重山地方で唯一の戦場となった紀元1500年のオヤケアカハチ戦争。竹富島もこの争乱に巻き込まれますが、首里王府軍が派遣した宮古島の英雄、仲宗根豊見親玄雅が築いた城がトゥールングックと伝承されています。遺跡内のトゥンナー井戸も豊見親が掘り当てたと言われています。この史跡も発掘調査が待たれます。
フージャヌクミ遺跡
フージャヌクミは別称ティラックとも言われ、幸本御嶽に祀られる幸本節瓦殿と密接な関わりがあります。交易を通じて富をもたらした幸本節瓦殿をリーダーとする一団が居住したフージャヌクミからは、数多くの陶磁器が出土されています。また、この遺跡には竹富島最高の聖地とされるクックバ(小底場)があります。
カイジ村遺跡・カイジ浜貝塚遺跡・蔵元跡
※沖縄県史跡
竹富島最古の遺跡であるカイジ浜貝塚は紀元1000年頃と推定されています。また、カイジ浜周辺は4層にわたり遺構が重なる複合遺跡で、前記以降、新里村東遺跡年代、蔵元設置年代(1500年代)、寄留民居住年代(1700年代)と分類できます。特に、西塘が蔵元を置いた16世紀は、カイジ村の最盛期といえます。
ブサシ遺跡
仲筋御嶽に祀られる新志花重成殿をリーダーとする一団が渡来した島南部のブサシ遺跡は、全容が未だに解明されておらず、伝承の世界を彷徨う遺跡です。竹富島南部は住民が立ち入る機会が殆ど無いためと思われますが、ブサシ遺跡についてはかねてより語り継がれてきました。発掘調査の切っ掛けがあることを期待する遺跡です。




























