竹富島の自然環境とは

エメラルドグリーンの海と草葉の緑黄意気盛んな竹富島。
さらに、赤瓦屋根と白砂の道の人智で創りあげたコントラストに
多くの来島者は魅了されます。

訪れる人々からは、「美しい自然環境」と称賛の声をいただきますが、
実は、島の陸域の自然環境の殆どは、
人の手が加えられた、所謂、「里山」と同じ位置づけです。


1944年(昭和19)米軍が撮影した航空写真(沖縄県公文書館蔵)


9つの御嶽の位置
・六山(玻座間御嶽、仲筋御嶽、幸本御嶽、久間原御嶽、花城御嶽、波利若御嶽)
・八山(清明御嶽、国仲御嶽)
・真知御嶽

太平洋戦争(1941~1945)終結後、本土や台湾へ出稼ぎに行っていた島民は、
終戦後の混乱によって生活の場を失い、そのほとんどが島に戻ってきます。
小さな竹富島には約2,300人ほどの人々が暮らすこととなり、
島民の食糧を確保するために御嶽と防風林以外は畑として耕作されていました。
米などの島内でまかなえない食糧は西表島まで通耕し、
大量の食糧を運ぶために西桟橋が拡張(1950)されています。

(ta)