竹富島の豊年祭

旧暦6月頃、八重山では各地域で豊年祭が行われます。
豊年祭と呼ばれるようになったのはつい最近のことで、
古くはプーリン、プール、プイなどと呼ばれていました。
豊年祭は、豊穣の感謝、
そして新たな恵みを授けてくれるよう祈願(ユーニンガイ・世願い)し、
多くの地域ではニライカナイから訪れる来訪神に対し感謝する祭りでもあります。
執り行なう内容は地域によって異なり、独自性を垣間見ることができます。

竹富島の豊年祭は、旧暦6月2回目の“みずのえ”、“みずのと”の日を選ぶことと、
(今年は8月4日・5日)
感謝とともにユーニンガイの儀式を行うことが特徴で、
他の地域と異なるのは、来訪神に対しての祈願ばかりでなく、
竹富島の祖先神で、
六人の島立ての神である六山(ムーヤマ)を中心として行われるオンプイ、
そして竹富島に由来する神々に感謝するトゥヌイプイの二日間にわたって
行われることです。
また、竹富島の豊年祭は、彌勒や旗頭、獅子舞などの奉納はなく、
アカマタ・クロマタなどの来訪神も登場せず、儀式に近い形式で執り行います。

島立ての6神の子孫にあたる氏子たちが祖先神に対し、
豊穣の御礼・子孫繁栄を祈願し、竹富島および氏子たちの益々の繁栄を祈り、
竹富島最大の偉人であり、今もなお島民に敬愛される
西塘大主(にしとうふーしゅ・生没年不明 16世紀頃)
が創作したといわれる「豊年祭の道唄」をうたいます。

H26onpui
昨年(平成26年7月10日)のオンプイ。
竹富公民館執行部ならびに有志の参詣の前に執り行うムラオン参拝(国仲御嶽)

H26tunuipui
昨年(平成26年7月11日)のトゥヌイプイ。
小底場での参拝を終え、玻座間村へと向かう神司と竹富公民館執行部。

(ta)