・美しさへのこだわり・

竹富島の集落を歩けば、中世に割拠した王たちが築いたとされる赤山岡、与那山、志良山と言った巨石や巨木が露出する小丘が今なおその姿を留め、単調になりがちな集落景観のランドマークとなって、竹富島の固有性を強調しています。また、集落全体の地形の変化に沿って、うねりながら走る街路の有機的曲線も中世的で個性的な景観を生み出しています。私たちが竹富島の集落が美しいと感じるのには理由があります。その要因について順を追って見ていきましょう。

1. 島の同心円的空間構成
竹富島では、全周が沖合のリーフで手厚く守られ、リーフの内側に豊かな珊瑚礁の浅瀬を持ち、島の輪郭は白砂の浜と肉厚の海岸防風林で縁取られ、その内陸に農地が広がり、さらに集落防風林に守られた島民の生活があります。竹富島の石西礁湖における立地と規模、島の形状、そして祖先の英知によるこの空間構成が、時に激しく襲いかかる亜熱帯性気候下での、島民のエコロジカルな生活と豊穣な集落景観の形成を可能にしてきました。

2. 中世の集落形態を内蔵する井然型の街路構成
竹富島の集落は、間に道を介さずに、屋敷地を連続させる中世期の屋敷割りの名残を強く残しています。1771年に、八重山地方を襲ったとされる明和大津波によって、他の周辺離島集落の大半が全滅し、琉球王府による地割制度によって碁盤目状に整然と敷地割がなされたのに対し、奇跡的に難を逃れた竹富島は独自の集落形態を維持しています。

3. 屋敷の空間構成
一般の琉球集落における屋敷が、四方を石垣で囲み、正面となる南の石垣を開いて入口を取り、ヒンプンを介して屋敷のほぼ中央にある母屋(フーヤ)に至るのに対し、竹富島では、フーヤの西隣に台所となる釜屋(トーラ)を、棟を直行させて配置しています。沖縄地方において赤瓦を葺くようになったのは明治20年代以降で、戦後しばらくの間に新築されましたが、茅葺きでは一般的な分棟形式が、堅牢な貫屋造りの赤瓦家屋では、分棟形式は希な存在であるにもかかわらず、竹富島集落の全ての屋敷において分棟形式がとられたことは、固有の、きめ細かなリズム感のある屋根の連続する景観を創り出しているといえます。

4. 母屋(フーヤ)の屋根形状
竹富島のフーヤの平面(間取り)は、まず例外なく東西辺が南北辺より半間(希に1間)長い長方形です。そこから寄棟屋根を同じ勾配でせり上げるため、どの家も大棟が半間で小さく結ぶことになります。平面規模の大きな家も小さな家もこの秩序に倣うことで、見た目に規模の違いが現れない視覚効果があるのです。
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